コラム
【CAインタビュー】「時代と共に歩む」ITキャリア人生~失敗と成功の年輪~
投稿日:2022/04/05 更新日:2022/06/07
ITエンジニアを目指したきっかけ
堤さんのファーストキャリアはエンジニアですよね。ITエンジニアを目指されたきっかけをお伺いしたいです。
はい。そうですね。ITエンジニアを目指したきっかけは、小学生の頃まで遡ります。その頃から科学が大好きでした。小学校3年生の頃から自分でラジオを作ったり、自分で電子部品を集めて様々な電子工作をするのが大好きな子どもでした。
高校生の頃、インベーダーゲーム等のテレビゲームが流行し始めた時代がやってきて、自分でも作ってみたいと思い、大阪・日本橋の電器街でゲーム用のICチップや多くの部品を集めてゲーム基板を自作しました。さらに近所の電気屋さんから壊れたテレビをもらって自分で修理して、ゲーム基板を組込んでテレビゲームを作り、文化祭に出品して大好評を得ました。
大学に入学してもこの熱は冷める事がなく、当時の8ビットCPUのパーソナルコンピューターに自作の小型シンセサイザー基板を接続して音楽を自動演奏させたり、更にはおもちゃのアームロボットを接続してパソコンから制御するシステムを作っては大学祭に出品した事もあります。
そんな経験から、関西の大手電機メーカーに就職し、本社の情報システム部門でITエンジニア職としての道を歩む事になりました。
新人プログラマーからスタート
小さい頃からものづくりが大好きだったのですね!晴れてご自身の好きなことが活かせるITエンジニア職に就かれたということなのですが、そのファーストキャリアについて、詳しく教えて下さい。
はい。まずはプログラマーとしてスタートしたのですが、その道はとても厳しいものでした。当時の企業内業務の基幹システムは「汎用機」と呼ばれる大型コンピューターの時代でした。しかも、現在の様にパソコンが1人1台ある訳ではなく、TSSと呼ばれる専用端末をグループでシェアしながらのプログラム開発でした。
ワープロもない時代、プログラムの作成も手書きから始めて、端末が空いたら手書きのソースリストから入力し、実行可能な状態にするコンパイル処理を行った上で、プログラムの文法エラーが無くなって初めて単体テストを行うと言うものでした。
限られた時間内に手書きのソースプログラムを入力するだけでも一苦労。更に単体テストが出来る状態になるまで、途方もない時間が流れてしまうし、直属の先輩社員や上司に怒られてばかりいて、トイレに隠れて泣いていた事もしばしばでした。
それでもお辞めにはならなかったのですね。
そうですね。今、振り返るとなぜ会社を辞めなかったのだろうか?不思議でたまりませんが、とにかく慣れるまで必死と言うか無我夢中に取り組んでいたのだと思います。
当時の情報システム部門では概ね3年〜5年に1回位仕事のローテーションが行われ、システム運用部門やファイナンス関係会社での会社製品のリース契約管理システムの構築等、インフラエンジニアや少し上流のシステムエンジニアとしてのキャリアを積み重ねて行きました。
西暦1990年代後半、企業の組織改革に伴い人事部門に配属となり実務担当者とチームを組んでシステム設計や企画に携わり、役職も主任・係長職に昇格する等、キャリアも順調にステップアップして来ました。しかし西暦1999年、私にとって「人生最大の危機」を迎える事になります。
ITキャリアで救われた人生の危機
人生最大の危機ですか…!それまでもかなりハードな時間を過ごされたようですが、一体何があったのでしょうか。
西暦1999年、かつて「ノストラダムスの大予言」と言う人類滅亡の話が話題になりましたが、ITの世界では「西暦2000年問題」が世界的に大きな課題となりました。
私も企業内プロジェクトの責任者の一人として取り組む事となるのですが、それだけでなく、実務グループ側の人事施策の改革についても人員不足から私もサポートせざるを得ない状況になりました。
部内のメンバーが次々とメンタルヘルスの不調で休職したり、会社を辞める人も続出する等、仕事の方が「世紀末」な状況でした。とうとうある日、私も職場で倒れて入院してしまいました。心身過労によるメンタルヘルスの不調によるものです。
しかし、私の場合は激務だけではありませんでした。実はもう一つ隠された「深刻な悩み」も抱えていたのです。
冒頭の文章を読んで、なぜ「女の子」がラジオやテレビゲームを作るのが大好きだったのだろうか?と言う疑問を持つ人がいるかも知れません。
私は40代半ばまで男性としての人生を歩んでおりました。「性別違和(性同一性障がい)」も抱えていたのです。心身の不調は長期化し休職と復職を繰り返しました。
しかし、専門医の先生に診てもらう機会に恵まれ、戸籍の性別を変更できる法律が施行される等徐々に環境が整備され、今から13年前に身体の性別と戸籍の性別を変更して職場復帰を果たす事ができました。かつての新人教育を担当していた上司や一緒に仕事をした職場の人々の理解や協力があってこその復帰でした。
そうだったのですね。性別は生活にも大きく関わってくる部分ですよね。職場復帰後もしばらくは最初の会社で勤続されたのでしょうか。
はい。そうですね。しかし問題は性別の事だけで留まりませんでした。復職後3年位経ち仕事が軌道に乗ったと思ったら今度は会社の方が深刻な経営危機を迎えました。会社創業以来初めての大規模なリストラの嵐が吹きましたが、幸いにも次の転職先が決まり、新しい会社の総務部門で情報システムに関わる仕事に携わりました。
新しい会社での仕事も順調になった矢先、今度は大腿骨の細胞が壊れてしまう難病に罹り、大きな手術を受けましたが体力低下や頚椎等に不調を来してしまい退職せざるを得なくなりました。
しなやかな働き方が出来るITスキル
大きなご病気もされてしまったんですね。ご退職されたあとはどうされたのでしょうか。
その後もかなり大変でした。退職後もシステム開発会社に採用されたものの、体力の低下は想像以上のもので、入社後5日で職場で転倒してしまい救急車で運ばれ敢え無く退職せざるを得ない状況となり、更なるキャリアの見直しが必要となりました。
そこで考えたのが、キャリアコンサルタント等、これまでの人事や総務の実務に関連した国家資格を取得してスキルチェンジを図る事でした。既に年齢も50代後半となりセカンドキャリアを構築する時期でもありましたので良い機会だったと思います。
幸いにも障がい年金の受給や、退職金を始めとした資産形成も整っていたので、スローライフへの切り替えもスムーズに行きました。
現在は当社でのキャリアアドバイザーをはじめ、大阪府の公的就労支援機関で障がい者を対象にしたIT講師、地域の小規模事業者でパソコンを使った事務処理アプリケーションの開発にも携わっています。
現在はこれまでの経験を様々な形で活かされ、様々な働き方をされているのですね。
はい。長年のITエンジニアとしての職務経験に加え、様々な困難の経験が「人生の引き出し」となり、加えて昨今のコロナ禍に伴うリモートワークの普及により、身体に障がいがあり、年齢を重ねても時代の流れにあったしなやかな働き方や生活が実現しつつあります。
ITスキルを身に付ける事はとても大変であり、技術革新のスピードが早過ぎる感も無きにしも非ずですが、仕事を通して得たスキルや経験は、それが陳腐化していたとしても一生を通して活かせるものだと、私は考えます。
キャリアアドバイザーとして一言
堤さんは現在、主に未経験からエンジニアを目指す方のサポートをされていますが、これからエンジニアを目指す方にアドバイスをお願いします。
そうですね。ITエンジニア職を目指すみなさまに取っては、将来が却って不安だらけに感じられたかも知れませんし、何だか個性が強すぎて全然参考にならないと感じるかも知れません。
しかし、今まで一緒に仕事に取り組んできた人々は、もっと一般的な人生を歩まれている方が多いですし、新しい職場で自分のロールモデルとなる職場の方に出会う事がきっとあると思います。
でも、口を開けて待っているだけでは、そんなチャンスに巡り合う事はありません。ITエンジニアの仕事を始めるに当たって、まず必要なのは好奇心を持つ事、とにかく首を突っ込んでみる事ではないかと思います。
求職者のみなさまのプロフィールを見ていつも思うのが、多くの方が転職に際してインターネットスクール等で初めてプログラミングの基本を学ばれて、出来ない事が出来るようになったと言う達成感やワクワク感を持たれた方が大半だと言う事です。また、それが転職活動の原動力となっている事も確かです。
そんな達成感、ワクワク感を大切にしながら、新しい事に自らチャレンジする事、解らない事があったら決して遠慮する事なく、とにかく周りの人に聞いてみると言う良い意味での「図々しさ」も持つ事が必要かと思います。
人に質問するには「どこが解らないのか?」自分である程度把握する事も必要ですし、そこに至るまでの労力は相当なものなのは確かです。しかし、実際の仕事においては「マニュアルの丸暗記」で対応できない事がたくさん出て来ます。新しいスキルを本当に理解するには、まずは「自分の言葉で説明できる事」がキーポイントとなりますし、それが「コミュニケーション力」を付ける事に繋がります。
より良いシステム開発や効率的な運用の仕事をする際には周囲の人たちの協力は欠かせません。大変な事だと思いますが、是非ともチャレンジしてみて下さい。